2008年5月30日(金) 更新

なぜそうなったのか

愛のロマンス(Yepes)


2002年11月1日(金)記入

 ここに私の「心の師」から学んだ重要なことを伝えさせていただきたいと思います。

それは、人間の宿命は「人生の基盤を成す3つの”ち”からつくられる」ということです。

 その3つの「ち」とは、

 @「知」すなわち社会・時代から流れ込む価値観、

 A「地」すなわち土地・地域から流れ込む価値観、

 B「血」すなわち両親・親族から流れ込む価値観です。

 この3つの「ち」が生育過程に於いて外から流れ込み”人生の基盤”を構成して行きます。

 すなわちこれらが人間の「宿命」として、人生を大きく左右する3本柱であるということです。


  私の人生を振り返ってみました。

  私は小学生の頃、いつも夏休みになると宿題を後回しにして思う存分、友達と畑や田んぼや野山を遊びまわっていました。

  夏休みの終わる3日ほど前になってあわてて宿題に必死に取りかかっていました。

  しかし結局、半分ほども仕上げることができずに不完全燃焼の気持を抱えながら、未完成の宿題を提出していました。

  とても後味が悪かったです。そしていつも「あ〜あ、もっと早くから取りかかれば良かったなー。

  来年こそは必ずきちんと計画を立てて初日から確実に実行していくぞー」と固く決意するのです。

  しかし、次の年の夏休みになると、また同じ結果になり、再び強い後悔の念に苛まれるのです。

  この繰り返しをず〜っと6年間繰り返してきました。

  私は全く意志の弱い実行力のないダメな人間です。立てた計画を3日と持続できないのです。

  このくせは高校、大学、社会人となってもあまり大きな改善や進歩もなくほぼ同じ状態を繰り返しています。



  2つ目は、人を小馬鹿にして軽視するような態度を取る人に対しては、徹底的に痛めつけて

  ギャフンといわせてやりたい気持ちになるのです。

  相手に相手のしたことを深く後悔させないと気が済まないという気持ちになるのです。


  また敵意を持って接してくる人間に対しては、それ以上の敵意を持ち、憎しみの感情をどんどん深め、

  完璧に相手を屈服させ、服従させないと気が済まないという感情が内に暴流するのも感じます。


  また、それとは逆に、親切な人、優しい人、素直な人に対しては、その人が困っていると、

  何とか助けてあげたいという気持が生まれます。我が身を犠牲にしてでも助けてあげたい

  という感情が湧いてきます。

  間違ったこと勝手なこと、納得のいかないこと、理不尽なことを言う人に対しては、正論で対峙して、

  相手が折れるまでしつこく逆襲せずにはおれないという感情の流れもあります。



  3つ目は、私は相当の自信家であるということです。

  私の言うことを聞いていれば絶対間違いはないという自己確信していることです。

  「私の言うことを聞かないからあなたはいい結果を出せないのだよ。」、

  「良い結果が出ないのは私の言うとおりにあなたが真面目に実行しないからだよ。ばかだな〜。ちゃんとやりなさいよ」

  とつぶやいたり、実際に、妻や子供や周囲の身近な人たちに言っているのです。


 まだまだ、数え上げれば切りがなく、たくさんあると思うのですが…。



そこで私はの3つの「ち」を見てみました。

 まず@の「知」=社会・時代から流れ込んだ価値観

  私は第2次世界大戦の終戦日から数えて数年後の秋に生まれました。

  産声を上げたのは午前1時過ぎだったそうです。

  終戦直後のため物資も不足し、世情は不安定で混乱した社会情勢であったようです。

  よく軍歌などを聞いて育ちました。「末は大将か博士か大臣か」という言葉もよく耳にしました。

  憧れの出世コースとは軍人の大将になること、または政治家として大臣になること、または学問の道に進み

  博士となることでした。世間はそれが最も名誉な職業であると言っていました。

  名誉を重んじることは良きことです。貧しい時代だったので豊かになることが望まれました。

  豊かであることに大きな価値が置かれていました。戦後最大のベビーブームと言われた世代です。

  いわゆる団塊の世代です。多くの高校では一流大学に一人でも多くの生徒を合格させることが目標となっていました。

  みんな一流を目指し、憧れました。受験地獄と言う言葉もはやりました。塾や予備校が増え、繁盛していました。

  一流の国立大学に何人合格させたかその合格者数によって高校や塾や予備校に格付けができました。

  一流大学から一流企業へのコースが出世コースであり、幸福な人生コースだということをほとんどの人が

  真剣に思っていました。エリート指向、競争原理、拡大指向の波に乗っていました。

  また権力、財力、地位・名誉等を得ることはとても良いことであり、望まれていました。

  それらを手に入れることは幸福な人生コースを約束されたようなものでした。

  また映画やラジオドラマでは勧善懲悪ものがはやり、正義感の強い男、剛毅木訥な男に人気がありました。

  そしてそのことは社会・時代の常識でした。


  私はそのような「知」、すなわち時代の価値観の渦の中に生まれ育ち、青年期を一生懸命に過ごして

  きたのです。

2008年5月28日(水)記入

 次にAの「地」=土地・地域から流れ込んだ価値観です。

 
私の育った地域
 私は、九州の南部に位置しているある田舎町で生まれました。そこの生活基盤は農業でしたが、そんな中、

 大人達は家柄を重視していました。武士の家系であることは自慢できることであり、一番の誇りでした。

 それ以外の家系は無意識に引け目を感じていたのではないかと思います。

 郷士の家系であった私の父方の親族は地域の人達からは一目置かれていたと思います。

 武士の家系は仏教ではなく、神道を祀っていました。家柄重視、男尊女卑の意識は自然なものであり、

 地域の常識でした。入浴の順番はまず親父からでした。そして長男、次男、…男の子供達、そして女性達へと、

 当たり前のようにごく自然な流れでした。また部落(集落)の慣習には絶対に従うべきであり、

 それが当たり前でありました。そして集団仲間意識が強く、一人だけの勝手な行動は許されなかったのです。

 そんなことをすれば、みんなから仲間はずれにされ、村八分的な存在になり、馬鹿にされるのです。

 そうなったらもうそこでは生きてはいけないようなものですね。

 力の強い者が上で、そうでない者は下。力の強い者に従うしかありません。

 それは暗黙の了解事項でもありました。力とは腕力や体力や統率力であり、財力や権力です。  



 それでは、次はB「血」について見てみましょう。


< 次回へ >

戻る